アイデンティティは中学までに作られる
無事に中学を卒業し、高校生になったウチの元ひきこもりの弟ですが、中学最後の1年は頑張って学校に行っていたにも関わらず、学期末の体育のテストをサボったらしい。
テストの内容はダンス。
なんだよ、踊るのが恥ずかしかったのかよ。と思い、話を聞いてみると。
「いや、違うし。練習はちゃんと出たけど、テストだけでなかった。」
「なんでよ。」
「踊る曲がマンピーのG★スポットだった。」
「うわ。」
曲を決めたのはもちろん生徒。違うのにしようよと言っても聞いてもらえず、振り付けも下品な振り付けにされたので練習だけでて、テストはサボったらしいのだ。
「振り付けも曲も中学生の授業であんなのダメだろ。俺は死んでも皆の前で踊りたくない。恥ずかしいとかじゃない。俺のプライドが許さない。だから堂々と休む。てか先生も止めろよ。何一緒に面白がってんだよ。皆が心からマンピー踊りたいわけじゃないんだよ。だから俺あの人きらいなんだよ。」
感心するところは、選曲をした友達ではなく、先生を責めるところだ。中学生はバカだ。ときとして、こんなことしたくなっちゃう、それを大人がどうにか導けよ。という考え方ができる。私もそう思う。
遠くから聞いてた母が
「テストでみんなの前でそんなダンス披露したくなかったんだって。嫌なことがあって乗り越えなきゃいけないならテストは出ろって怒るところだったけど、そこはアイデンティティに関わるかなと思ったから休ませたんだわ。理由もちゃんと担任の先生には言ったし。担任も体育の先生には呆れてた。」
「なるほどね。弟が違う曲にする方向に話を持って行けなかったの?」
「・・・違うのにしよって言ったけど、俺にはそこまでのことはできなかったんや(~_~;)」
なにがなんでもマンピーで踊りたかった子もいたんだな笑。
弟はとにかく先生運がなくて、小学校の頃からの担任も、中学の教科担任も皆ヘンだった。小学校低学年の頃に何人かの子と一緒に土下座させられたこともあった。こんなことをするのが50代のベテランの先生だったりする。
こんな先生たちによって、弟は見る目を育まれたのだ。だからか、先生をちゃんと大人としてみてる。
いくら教え方がうまくても、テストの採点が早くても、関係ない。俺ちゃんとした人なら誰が先生でもいいよ。
高校は親も弟も、今のところいい先生しかいないって言ってるので安心してます。
春なので、アイデンティティの確認をしてみようと思いました。