書きたいときしか書かない

文字に触れて落ち着きたくって始めました。2014.04.23

センスのなさを努力で補う?


春高バレーを見ていた。
場所は東京体育館だろうか?
バスケットボールをやっていたときに
ウインターカップを観戦しに2度程行ったことがある。
とても広い体育館には壁一面に出場チームの横断幕が飾られており、そこにはチームを鼓舞するというか、チームの信念となる言葉が力強く書かれてあったのをおぼえている。


春高バレーをテレビで見ていて、東福岡の金子くんの見ていて爽快なスパイクと同じくらい、横断幕に書かれた言葉が気になった。

努力に勝る天才なし

どこの学校かわからなかったけど、画面の端に映った横断幕にはそう書いてあった。

どうして気になったのかというと、
自分が中学生の頃、憧れていた高校バスケの強豪校の横断幕には

努力は素質を超える

と書いてあって、似ていたからだ。

この話を友達にしたら
努力は行動を指す言葉だけど
天才は人を指す言葉だから比較対象としておかしくない?
と言われたので、努力(家)に勝る天才なしと考えることにする。


努力は素質を超える
努力(家)に勝る天才なし

本当にそうだろうか?

中学生の頃までら、努力は素質を超えるという言葉を信じていたし、下克上な姿勢が格好良くて好きだった。
そんな横断幕を掲げる強豪校の監督に、バスケが上手になったら入学したい!と14歳の頃から言っていた。

15歳になったとき、その強豪校の練習に参加した。監督とお会いし、いよいよ入学に関する話ができると思っていたが、監督は私を見るなり

君、1年前から背が伸びてないね。
と言った。


私は結局、別の高校に行くことになった。努力で素質は超えられないのだと悟った。バスケット観戦をたくさんして、年齢の割にスポーツを見る目が肥え過ぎたのかもしれない。自分でも素質のなさを受け入れることができた。



テレビの中で活躍する高校生は
努力は素質を超える
この言葉を純粋に信じることができたのだろうか。
最初は私のように信じたかもしれないが、次第にその言葉通りにならないことに気がついたはずだ。

ただ、
それを分かっていながら、騙されて一生懸命に練習できる素直さや、その言葉にすがる純粋さを彼らは持っているのだと思った。
自分で自分を洗脳させる力のような、彼ら特有のパワーは大人になると不思議と弱くなっていくから、とても羨ましく思いながらテレビを見ていたのだった。


この言葉はずっと才能のない私に向けて書かれたもののように思っていた。
素質ある越境入学できた選手もいるけれど、諦めないで頑張ってくださいねという気遣いのように感じるのだ。

こんなことをグダグダ考えても、結局は努力してようがしていまいが、チームに貢献してくれる人がコートの上に立てるのだ。


このままではなんだか悲しい話になってしまうので、私がドイツの射撃コーチに聞いた話を書いておく。

努力でセンスは補えない。
でもセンスで努力も補えない。
これら2つは質が全く異なるものだから。

そして、努力とセンスだけで勝てるほどスポーツは甘くないのよ。

運も必要なの。
努力×センス×運
そういった考え方をしてるのよ。

この話をしてもらったのは5年くらい前なんだけど、最近ようやく努力とセンスの質の違いを理解できるようになった。
どんなに料理の腕があっても食材の質を上げることはできないのと同じような感じだと思ってる。
努力でセンスを補う話はよく聞くから、
自分の実力は足し算で考えるんだと思ってたけど、センスで努力を補う話は聞いたことないし、足し算方針にモヤモヤを感じていたのが、いやいや掛け算だよとコーチに言われたことでようやく測り方を理解することができた。

今回横断幕のことを考えて、
横断幕の深さ的なものも知れたので
また今度続きを書く。
これは絶対書く。


それにしても
東福岡はスポーツが強いなぁ。